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コラム

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この夏、墓参で大阪へ行き、神戸、京都の
40年来の友人を訪ねるという旅をし始めました。
この時、神戸の北野町を訪れ、あの”ローズガーデン”を見に行きました。
建屋は残っていましたが悲惨な状態です。”メッキ”が剥げ落ちてしまったというまでのもの。
川久保玲とこの”ローズガーデン”はご存知ない世代になり始めたが、色々、ありましたね。
まだ、彼女も若かったから激しさを持っていらっしゃった。
僕の友人が大阪でCdGに勤務し、大阪はパルコ、京都はBallそして、神戸はこのローズガーデンを拠点にすべく、猛烈に働かされていたのを思い出す。
その友人はその後、死へ急ぎ、間も無く亡くなった。
この”ローズガーデン”は’77年完成だったので、’76年にはすでに、川久保玲は安藤忠雄と
出会ってる。否、その数年前に、あの”フロム1st.”ですでに、出会っている。
この”フロム1st.”も本当は安藤忠雄が基本設計までを手がけていて、彼はやる気満々でしたがその後急遽、ロンドンから帰っていらした、山下和正さんに変わった代物でした。
ここでも、川久保玲はこの”フロム1st.”にはこだわった。白という色にこだわり、タイル張りの内装になった。その後、スタイリストとして活躍なさっている堀越さんがここで働いていらっしゃった。懐かしいいい、時代でした。
しかし、安藤忠雄はこの山下さんのレンガの使い方の上手だった、”フロム1st.”からその後
”ローズガーデン”のエスキースを頂戴してしまっています。
そして、この二人はその後、一度だけ対談をした。どちらもが乗り気のない対談だったことを覚えています。
が、川久保玲はその後、もう2度と彼と一緒には表立ってメディアへは出ない。
しかし、その後、安藤忠雄は彼の建築事務所を”ブランド化”し始めました。
その後、多くのファッション系の商業施設を”浜野商品研究所”を営業部門とし手掛けました。
そして、今の立ち居場所の第1期を構築しました。
この発想は建築家自身が設計しなくても、その名の事務所がすればいいという方式です。
これは当時の建築界では考えられない形でしたが、これが見事その後の”安藤忠雄”へ進化して
現在へ至ったのですから凄いですね!!僕流に言えば、彼は”建築界の小保方方式”で建築事務所を”ブランド化”したことが今の立ち居場所を築き上げたのです。
「ル・コルビジュェ+カルロ・スカルプ」=長屋の家を始めとする彼の”外装”+”内部空間”のミニマルなマニエリズム的な混成、或いはブリコラージュは
コムデギャルソンのその後のクリエーションの根幹にも通じるところがありますね。
そして、安藤忠雄の事務所も今は確か、外資ユダヤ系が資本投資しています。

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